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函館地方裁判所 昭和32年(わ)184号 判決 1958年6月21日

被告人 外山治久

主文

被告人は無罪。

理由

一、公訴事実

本件公訴事実は、

被告人は隣家であり、かつ、妻の義妹に当る上磯郡上磯町字清川三十八番地外山トミ(当三十八年)から、予て意気地なしと悪口を言われて居たことを恨みに思つていたが、昭和三十二年五月一日、飲酒の間においてにわかに右トミを殺害してその恨みをはらそうと決意し、同日午前十時三十分頃、右トミ方六畳茶の間に於て、同女に対し「今日はお前の命を貰いに来た、お前が俺を意気地なしと言つたのが癪に触る」と申し向けたうえその場で、所携の「サバサキマキリ」(刃渡約十四糎)を以て同女の胸部を突き刺したが、同女の抵抗に会い同女の着衣を割き、かつ、同女に対し全治迄に三日間を要する右第一及び第二指腹切創兼胸部打撲症の傷害を与えたに止り、その目的を遂げなかつたものである。

というのであつて、右の外形的事実は、本件各証拠によつて、十分これを認めることができる。

弁護人は、被告人が本件犯行当時病的酩酊に陥り、心神喪失の状態にあつた旨主張するので、この点について考察する。

二、本件犯行に至るまでの状況。

外山もとの検察官に対する昭和三十二年五月九日付供述調書、証人外山もとの第四回公判調書中の供述記載、被告人の第二回公判調書中の供述記載、および司法警察員に対する供述調書ならびに検察官に対する供述調書(二通)、当裁判所の証人外山トミに対する証人尋問調書、吉野キヨの検察官に対する供述調書を総合すると、次の事実が認められる。即ち被告人は昭和二十五年三月、現在の妻もとと結婚し、その間に三児を儲け、妻もとの先夫の子二児らと一緒に暮し、専ら、農業を営んでいたが、結婚後飲酒する機会が増え次第に酒が好きになつて、酒があれば毎日でも飲みたい程になつた。被告人の平素の酒量は焼酎二合までがその極量であつたが、時に三、四合も飲むと前後不覚に酩酊することも度々であり、又酔うと眠れなくなつて、夜中にでも戸外に飛び出し倒れるまで騒ぎ廻るようなこともあつた。昭和三十一年秋頃からは飲酒すると態度が常軌を逸し、急に、妻もとに対して、「お前とは一緒に居れない」と言つて移動証明をもつて出て行き、そうかと思うと三、四日位して帰つて来たことがあり、又、何でもないのに、突然、妻もとに向つて、「お前に狐がついている、」とか「魔物が見える」とか言つて、何でもないところを叩いたりすることがあつて、漸く、妻もとも被告人は頭が変になつたのではないかと心配するようになつた。そして同年十一月頃、被告人は些細なことから家を出て、上磯町字新浜町の実母鳥海ナツ方に別居するようになつたが、その頃から自ら頭具合が悪いと感じ、いらいらと不安な気持にかられ、又安眠もできなくなつて、カルモチンやバラミン等の催眠薬を用いるようになり、それも、次第に激しくなつて、カルモチンは一回に十五錠位から三十錠位、バラミンは一回に一錠から五錠位を気分の悪い時は昼となく夜となく飲むようになつた。別居後も被告人は月に二回位妻の許に帰り泊つて行くことがあつたが、夫婦関係を結ぶことはなくなつて了つた。昭和三十二年三月頃、前記外山トミが被告人の妻もとの許に遊びに来ているところへ被告人が飲酒して帰つて来て、妻もとに対して「こんな嬶と一緒に居れぬ」と言い、もとも「出て行つたかと思うと又帰つて来る、ほんとに意気地なしだ」と応酬し、傍で外山トミも「そうね」と合槌を打つたことから、被告人は妻に対して「意気地がなければあるようにして見せる」と言つて妻を殴打し暴れ廻つたことがあつた。その後同年四月頃、被告人は空知郡富良野町の農家に出稼に行つたが、二日位で帰り、再び同月末頃、室蘭市輪西の実兄鳥海博を頼つて働きに行つたが、眩暈や恐怖感を覚え、気分が悪くなつて、一日土工夫をしただけで引き揚げ、突然夜中一時頃妻もとの許に帰つて来た。そして一、二日泊つて、本件犯行当日である五月一日は午前六時頃起床し、バラミン数錠を飲み、午前六時半頃朝食を一、二杯とつたが、なお、その前夜もバラミン三錠位を服用していた。それからしばらくして、被告人は気分が優れないのでぶらぶらと家を出て、日頃親しい近隣の吉野新太郎方に赴いたが、同人が不在であつたので、同人の娘朱美に焼酎四合瓶一本を買つて来て貰い同家でそれを三合余飲んだ後、前示のとおり本件犯行に及んだその経緯が認められる。

三、本件犯行後の情況。

外山正勝の司法警察員ならびに司法巡査に対する供述調書、第四回公判調書中証人加納トキの供述記載、加納トキの検察官ならびに司法巡査に対する供述調書、当裁判所の証人外山トミに対する尋問調書、および第三回公判調書中証人西野治衛の供述記載を総合すると、次の事実が認められる。即ち、被告人は前示犯行直後、外山トミから右サバサキマキリを取り上げられてその場に座り込み、一方急を聞いてトミの息子外山正勝および近隣にいる実妹加納トキが現場に馳けつけたが、トミから「お前のような者に刺されてたまるか」とか、トキから「かあさんが何かお前に殺されるような悪いことをしたか」と言われて、「本気に殺すのならお前のようなものは一気に殺してあつた」と言い捨てて、靴を履いて出て行き、その足で、右トキ方の玄関上りかまちに坐つて寝込んで了つた。そこえ、間もなく巡査西野治衛が馳けつけ、被告人に声をかけたが起きないので揺り起し、その場で被告人を逮捕し、馬車に乗せて上磯警部派出所に連行したが、その途中、一時間位の間、被告人は馬車の上で歌を歌つたり、馬車から飛び下りるようなことをしたり、わいわい騒いで子供が可哀そうだと言つたり、同乗していた外山トミに「お前はそんなに俺が憎いのか」と言つてつかみかかつたり、焼酎を飲ませてくれと言つたりなどし、右派出所に到着後も「頭が痛いから横にさせろ」と言つたり、歌を歌つたりし、取調に際しても、「そんなことどうでもよいではないか」と言つたりするような態度であつたので、満足に取調ができなかつた状況であつたことが認められる。

四、本件犯行当時の被告人の精神状態(心神喪失)。

前示二、三において認定した事実と鑑定人富田恭の精神鑑定書および当公判廷における富田恭の証言を総合して判断すると、

被告人は近年いわゆる慢性アルコール中毒状態に陥り、一方、昭和三十一年春頃から精神分裂症の病状が現れ、昭和三十二年四月頃には精神分裂症の常況にあつたことが認められ、本件犯行当日は、既に右のように慢性アルコール中毒症および精神分裂症に罹つておりしかもその前夜催眠剤の服用によつて二日酔のような状態にあるうえ、更に催眠剤を服用し、かつ適量を超えた焼酎三合余を飲んだため、犯行当時、医家のいわゆる病的酩酊を起し、意識溷濁を招来して、是非善悪を弁識し、かつ、その弁識に従つて行動する能力を欠いていた、ことが認められる。

尤も、前掲三の証拠中には、被告人の犯行直後の言動についてはそれ程酩酊しているようには見受けられず、又警察員による逮捕連行途次および取調の際の言動も殊更に酩酊を装うような節があつたという趣旨のものがあり、更に、巡査琉鉄夫の警視正宛殺人未遂被疑者の健康診断についてと題する報告書および医師松本喜久二の被告人に対する診断書によると、被告人の逮捕連行直後の健康状態は飲酒後の運動による一過性高血圧症の外他部に異常が認められぬというのであるが、この点は、前掲精神鑑定書が、右松本医師の診断書に比して、その鑑定の経過も概ね(遺伝歴、既往歴は正確かどうか断定できない)客観的事実に基いて科学的方法と専門的知識をもつてなされたものであることが認められるから、重大な比重をもつものといわねばならず、又、前掲証人富田恭の証言中、特に、「精神が溷濁するとその者の言動は本人は、或る程度認識しているが、直ぐにそのことを忘れて了い、反面、他人から見るとその精神溷濁者の言動は全く正常なものに感じられるので、素人にはその者が精神溷濁の状態にあるかどうかはとても判定不能である」との部分に照らして、到底そのまま首肯することができないところである。

従つて、被告人は本件犯行当時刑法にいわゆる心神喪失の状態にあつたものと認めざるを得ない。

五、結論

そうであるから、被告人の本件犯行は刑法第三十九条第一項によつて罪とならないものといわなければならない。

以上の理由によつて刑事訴訟法第三百三十六条に則り、被告人に対し無罪の言渡をする。

(裁判官 馬場励 永淵芳夫 新居康志)

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